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夢の始まり
岡山県倉敷市のマンションの一室。口径45センチの反射望遠鏡「かぐや姫」はこの部屋で組み立てが始まりました。それまで撮影に使っていた15センチのミザール鏡も優秀だったのですが、どうしても大口径が欲しかったのです。「かぐや姫」という望遠鏡の名前の由来。それは内緒です。
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かぐや姫のパーツ群
手作り望遠鏡かぐや姫はマンション工房で少しずつ作られていきました。材料を探しては設計図を引く。この積み重ねです。鏡を納める主鏡セルは鉄板。トップリングと中間リングは自転車のアルミリムを使い、回転胴はマンホールのふちを利用しました。
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台座は簡易経緯台
鏡筒本体は強度と精度を考えて金属製にしましたが、頑丈な赤道儀を作るほどの時間とお金は有りません。そこで当座のつもりで簡易経緯台を木で作り、それを仮の台座としました。
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エンブレム
望遠鏡の形が見えてきた頃、エンブレムを付けようと思い立ちました。
望遠鏡の名前はかぐや姫と決めていたので、図柄は幼い姫を描くことにしました。月に叢雲の着物とうさぎの打掛け。背景は姫が産まれた竹藪です。 -
トランクルームに避難
赴任先のマンションで鏡筒上部と下部を別々に組み上げ、自宅の裏で経緯台が形になった頃、会社から本社転勤の辞令が出ました。
寝耳に水の事態に、とりあえずすべてを岡山市街地南部のトランクルームに避難させることになりました。
撮影:1999.03 -
望遠鏡の形に
手作り望遠鏡かぐや姫は、避難先のトランクルームで仮りながら組み上げられて形になりました。星の光を初めて通す「ファーストライト」を僕だけでなくかぐや姫も待ち望んでいます。
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憧れの地に
反射望遠鏡かぐや姫は、仮の館トランクルームで静かに待っています。その姫の安住の地になるべき場所を求めてさまよううち、海を見下ろすミカン山が見つかりました。土地の持ち主のおじさんにご快諾を頂いたのが1999年6月の事です。
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防風林の伐採
ここを使わないかと言われた場所には防風林が並んでいました。思ったより狭い。どうしようと考えているとおじさんがチェーンソーを持ち出していきなり杉の木を切り初めたのです。
驚いた僕が止めようとすると、騒音の向こうで「ええんじゃ」という声が聞こえました。
撮影:1999.10.19 -
僕の夢はおじさんの夢
おじさんが貸してくれたのは、このみかんの丘の中でも取って置きの場所の一つでした。いつかここに何かを建てたい。その思いが僕の天文台建設と重なって、「遠くに海の見える丘の上に天文台を建てたい」という僕の夢はおじさんの夢にもなったのです。
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一本目の柱立つ!
天文台は初めブロック造りの簡単なものにするつもりでした。しかしおじさんが、ストックしていた木の電柱を使えと提言したため急きょログハウスに転進。設計変更に半年近く掛かった後、ようやく1本目の柱が立ちました。
撮影:2000.03.26 -
掘立柱群
頑張って引いた図面の通りに電柱を立てて行きます。この作業にはおじさんとおばさんがずいぶん力を貸してくれました。柱を6本すべて立ててみると、正確に穴を掘ってまっすぐ閉てたつもりでも、上のほうでは3センチを超えるズレが生じて、後で苦労することになります。
2000/07/05 撮影 -
望遠鏡を支える支柱
天文台の二階には大小二つの望遠鏡を置く予定でした。その望遠鏡が天体を追尾する赤道儀を支えるのが支柱です。
支柱は家の振動の影響を受けないように周囲を保護枠で囲みました。建設は小さいほうの望遠鏡の支柱からスタートです。
2000/10/17 撮影 -
視察中のおばさん
天文台の建設はおばさんにとっても楽しみの一つでした。「あんたの邪魔をしたらいけん。」そう言いながら時折建設現場に姿を現します。足元に座っているのはこの時はまだ元気だった飼い犬「ボウ」です。
撮影:2001.09.03 -
少しずつ、でも着実に
建設に使える時間が沢山有る訳でも、資材を買うお金が潤沢なわけでも有りません。有り余っているのは作りたいと言う意志だけです。天文台の建設は少しずつ、でも着実に進んでいきました。
撮影:2001.10.20 -
現れた壁とドア
天文台はおじさんの意向でログハウスになりました。だから普通の木造家屋と違って下から作られます。
柱と柱の間に、ホームセンターで見繕った板と会社の同僚からもらった古いサッシが立ち上がっていきます。
撮影:2001.12.02 -
一人で重い梁を上げるには
二階の床を支える梁はかなりの重量です。中でもおじさんに使えと言われた伐採したばかりの杉丸太の重さは半端ではありません。ただそれを上げるのに重機が有る訳でも誰かの助けが有る訳でも有りません。ロープと梯子と脚立。それが全てです。自分も上がっている脚立で、ロープでも外れれば命が危ない。一番いい方法を考えながら着実に着実に。
身に付いたのは無理をしないということでした。 -
電気が来た
天文台の建設には電動工具も使います。でもその電源はすべて小型発電機で賄っていました。発電量が小さいため不便をかこっていましたが、この日待望の電線を引くことができました。
2003年1月28日は竹取庵にとって「電気記念日」です。 -
二重構造の台座
天文台の2階に鎮座するはずの2台のうち、小型のほうの望遠鏡を支える台座。
内側のブロック造が直接望遠鏡の台座となり、外側の鉄筋コンクリートと煉瓦で出来た外枠との間は、厚さ12ミリのコンパネをせり上げながら隙間を作っていきます。
撮影:2003.03.09 -
かぐや姫のペディスタル
天文台の主砲ともいえる45センチ望遠鏡かぐや姫を支える台座(ペディスタル)は安全のためにホースシューと呼ばれる形に決めました。このため台座は細長い台形。そしてこれも建物と接する外側と望遠鏡を支える内側の二重構造です。
撮影:2003.09.03 -
戦友ブルーベリー号
親戚から譲り受けた軽トラック。その色から、友人がブルーベリーと命名しました。材木は岡山市郊外の材木店で仕入れ、それを彼が運びました。彼がいなければ竹取庵の建設は不可能でした。
撮影:2003.11.08 -
初めての望遠鏡
竹取庵の形が見え始めた頃、おじさんがテラスを作って欲しいと言いました。農作業の合間にここで休憩したいというのです。
出来上がったテラスに、星を見てもらえるかと望遠鏡を設置。6センチの安物ですが、竹取庵初の観測装置でした。
撮影:2004.02.21 -
かぐや姫の土台完成
45センチ望遠鏡かぐや姫の台座を据えるペディスタル(土台)が完成しました。背の高い台形のペディスタルと、周囲を囲むブロックの枠が判りますか。竹取庵の二階の床は外側の枠にだけ載ります。
撮影:2004.04.30 -
信じられない光景
2004年9月9日、大型の台風18号が西日本を襲いました。進路が西にぶれた為岡山は激しい風が吹き荒れ、翌日のみかんの丘には信じられない光景が広がっていました。大きな杉の木が何本もなぎ倒され、そのうちの一本が竹取庵にもたれ掛かっていました。
幸い建物そのものに被害はありませんでしたが、この木を片付けるために次の日まる一日掛かりました。
撮影:2004.09.10 -
風の通り道
竹取庵に倒れ掛かった杉を片付けたあと丘を歩いてみると、なぎ倒されたのはあの木だけではありませんでした。ふもとから駆け昇って来た竜巻が、通り道の木々をほとんどすべて蹴倒していたのです。海側から見ると丘はロートを真横に切ったような地形をしている。「風の通り道」。それを思い知らされた出来事でした。
撮影:2004.10.02 -
見えてきた「部屋」
丘にあるのは掘っ立て柱とわずかな板壁、そして窓。遠くから見るととても建物には見えません。それでも作業が終わって、こうして南側から眺めると、なんとなく部屋に見えてきませんか。ここに台所と居間が来る。
この見えなくて見えるものに後押しされて、夢は先きに進みます。
撮影:2004.10.16 -
不思議の国入口
車で丘に上がる道は3本あります。1本は見晴らしのいいワインディングロード。もう一本は牛小屋と竹藪の脇を通るメインロード。そして最後の1本がこのワープロードです。
ふもとの集落から丘に登る一直線のこの道を僕は緑のトンネルと呼んでいましたが、あの大風で道路わきの木が倒れて、なんだか不思議の国の入口みたいになりました。軽トラだけがくぐれる夢の抜け道です。
撮影:2005.01.09 -
みかんの植え付け
竹取庵南側のみかんの木は大風が持って来た塩水が原因で、半年もすると枯れてしまいました。
新しい苗木を持ってくると、おじさんはちょっと嬉しそうに手伝ってくれました。粒肥と石灰を植える場所に置き、その上を小型の耕運機で耕します。
撮影:2005.03.26 -
大きくなあれ
耕した後に深さ30センチほどの穴を掘り、鉢(土の根の固まり)付きの苗を入れて周囲を軽く固めます。そしてその周りに溝を作って水をたっぷりやったら出来上がりです。僕の作業を太郎がずっと見ていました。太郎にとって僕はおじさんの後継者なのかも知れません。
撮影:2005.03.26 -
掘立柱のてっぺん
竹取庵の工事が進んで、いよいよてっぺんの桁を載せる段階に差し掛かりました。普通の木造住宅なら図面通りに工場か、最低でも現場の地面で加工をして柱を立てますが、竹取庵の場合、横板がどれくらい目減りするのか、また、その材料をいつまでお店に置いているのかも不透明です。なので柱のてっぺんのほぞは、梯子の上、空中で刻みました。
撮影:2005.07.16 -
台風が襲う
台風14号がみかんの丘にやってきました。前の晩までに頑張って仮屋根を作り、新品のシートを買ってカバーをしたのに何にもなりませんでした。掃き出し窓のサッシが内側に吹き飛ばされ、下のガラスが割れています。
一階は床が持ち上がり、コンパネが少し開いていました。自然の力の凄まじさ。
撮影:2005.09.10 -
台風の後はシロアリ
台風の後の片付け中発見。、玄関近くのダンボール箱を動かしてみるとなんとシロアリ!!
床板をはがすとコロニーが出来ていました。幸い被害は広がっておらす、急いでシロアリ防除剤を注入。その上に防腐防虫剤をかけて何とか退治しました。
撮影:2005.09.25 -
二階の桁を載せる
竹取庵の建設費は月々精々15,000円程度。だから工事は遅々として進みません。それに日々仕事に追われている中では、丘に上がるチャンスも多くないのです。だから上がった時はどうしても遅くまで頑張ります。この日は梁にほぞ穴を切るために桁を仮置きしたところで夜中になってしまいました。
撮影:2005.11.19 -
見えてきた玄関周り
床に柱を立て、その間に壁板をはめてゆく。そしてその上に梁を載せ、さらに桁を並べる。この作業の中で、ようやく玄関周りの様子が見えてきました。戸口前の横に渡された二本の丸太は、もともとここに生えていた杉の木です。おじさんが使って欲しいと言うのでここに居ます。写真一番左の柱に並ぶ金属プレートは、これがもともと電柱だった証です。
撮影:2006.01.09 -
レンガが無い!
竹取庵のアクセント。それは地面から屋根まで伸びるレンガの柱です。
ミニブリックと言う名のこのレンガを、一度に20個くらいずつ買っては積み上げていました。ところが4分の3くらいまで積み上がったところでホームセンターからミニブリックが姿を消し始めたのです。聞けばもう生産中止だとか。え、それでは困る。必死で探し回り、京都や福山の問屋にまで買い付けてようやくてっぺんまでの材料を揃えました。
撮影:2006.06.25 -
複雑な二階の床梁
真ん中に細長い台形の枠を持ち、しかもそれが正しく南北に向いていない。なので二階の床を支える床梁はとても複雑な形をしています。本当はここまで頑丈である必要はない。とプロの大工さんに言われましたが、この床に可動式の赤道儀を置くことを考えると、どうしても梁の数が増えてしまいました。
撮影:2006.05.21 -
南の窓と仮の屋根
僅かずつ進む竹取庵の建設。それでもようやく1階の居間の南側を仕切る窓が付きました。ミニブリックも何とか不足を補ってあと一段積むだけ。これでようやく「室内」と言う言葉がふさわしい空間が出来ましたが、この写真を撮影した少し後から、僕の周りで人生を大きく変えるような出来事が次々に起こります。
撮影:2006.09.02 -
度重なる苦難
この年の春から力の入らなくなった手足の関節が、夏を過ぎた頃から痛み始めました。調べてみたらなんとリウマチ。それから毎週大学病院に通いましたが症状は悪化する一方で、ノミも金槌も持てなくなってしまったのです。
どうしようと頭を抱えている時、台風の通過で竹取庵の仮の屋根が吹き飛んでしまいました。おじさんと一緒に動きにくい体に鞭打って屋根を元に戻し、大きな網を竹取庵にすっぽりと掛けましたが工事再開の見通しは有りません。そこに追い打ちをかける様に訪れた我が子の死。事故でした。
撮影:2006.09.18 -
時が静かに流れてゆく
体も心も折れてしまい、建設途中の竹取庵は網を被ったまま長い休眠期に入りました。その間にも丘のみかんは花を付け実を生らせ、また花を付けていきました。
撮影:2007.11.04 -
ついにプロの手で
竹取庵の材は一応防腐処理がしてあります。とは言えいつまでも野ざらしにしていたらきっと腐るに違いない。そうなれば今までの長い歳月と苦労が水の泡になってしまいます。随分考えた末、ここから先はプロを頼むことにしました。
竹取庵の図面を詳細に引き直し、友人の建築士の紹介で隣の町の鉄工所を頼みます。兄が鉄工所を経営し、弟が大工をして木工部分を補うと言う竹取庵にとってお誂えのスタッフでした。
図面を見て初めは断ってきた鉄工所でしたが、諦めようとしたときに電話が掛かってきました。やってみると言ってくれたのです。
弟の大工さんの腕は予想を上回っていました。建設が頓挫していた竹取庵はみるみる形が出来ていきます。
撮影:2008.03.13 -
出来上がってゆく観測デッキ
月に精々二度、それも作業時間が4時間ほどの僕とは違います。何人もの作業員が毎日8時間。それに加えて腕の良い大工さんの手で二階の観測デッキは次第に姿を現していきました。
僕が作った床梁に新しい材を繋ぎ、作業開始から数日でデッキの床の形が確定しました。ここに床材が張られていきます。この頃までには僕のリウマチも薬が功を奏して痛みや腫れが収まり始め、こうして記録を撮影することが出来る様になりました。
撮影:2008.03.15 -
足場が組まれる
作業開始から2週間。観測デッキは囲いも含めて出来上がり、竹取庵の周囲には屋根を作る為の足場が組まれました。すでに6本ある掘立柱の外側には屋根を支えるための鉄骨チャンネルベースが取り付けられています。
撮影:03.29 -
初めて屋根が付く
木造部分の工事が終わりかけた頃、牛窓の工場で加工されて組上げられた鉄骨が再度ばらされて持ち込まれました。
最初に取り付けられたのは竹取庵北側の小さい屋根。これが組みあがったら南側の大屋根に掛かります。
撮影:2008.04.14 -
形が見えてきた
南側の屋根の組み立てが始まってからわずか3日。南側の小さい屋根も組み立てが終わって、垂木が取り付けられています。完成まで何年かかるか分からなかった僕の夢が、今形になってきました。
撮影:2008.04.17 -
みかん畑の中で
春の日差しの中で工事は順調に進んでいきました。垂木が取り付けられた2日後には野地板が張られ、新芽の伸び始めたみかん畑の中で、竹取庵は誇らしく輝いて見えました。
ただ残念なのは、この様子を一番喜んでくれるはずのおじさんが前の年の7月に他界してしまった事でした。肺がんでした。
撮影:2008.04.19 -
屋根を葺く
野地板が張られた屋根にはルーフィングは置かれ、その上にガルバリウム鋼板と呼ばれる鉄の板が葺かれていきました。
天文台だけに内部を高温にしたくない。周囲の緑と違和感のない色。という訳で屋根の色は若草と決めました。
撮影:2008.05.01 -
足場が外れた
竹取庵の周囲をしばらく囲んでいた足場がようやく外れ、その全貌が見られるようになりました。完成にはまだ少し時間が掛かるけれども、あの雨に晒されてた竹取庵が、夢に向かって大きく前進しました。
撮影:
2008.06.07 -
一階床の張り替え
プロにお任せしたのは二階の床と屋根だけ。目くるめく勢いで形が出来た竹取庵ですが、実際に使えるようにするのは僕の仕事です。とりあえずは風雨で傷んだ一回の床の張り替えから着手しました。
それまで頑張って耐えていた防水型のコンパネをはがして新しいコンパネを張り直し、その上に根太を置いていきます。防虫防腐の薬をたっぷりとしみこませた上でさらにその上にコンパネを張ります。シロアリに痛い目にあわされただけにここは慎重に。
撮影:2008.07.12 -
赤道儀のポール
竹取庵の観測デッキには大小二つの機器が並ぶことになっています。その小さいほうの望遠鏡を回転させる赤道儀のポールが鉄工所から届きました。取り付けるのはレンガの柱の内側のコンクリート中のてっぺん。がれきを使ってポールの垂直をきちんと出し、その周囲をコンクリートで埋めていく作業です。